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エアポート'75


Airport 1975

感想:

─ 座位(ざい)は、性科学分野におけるヒトの性交体位の一種。性交の際に執る座位(座った姿勢)を意味する日本語(Wikipediaより) ─

 

航行中のジャンボ・ジェット、そのコクピットにセスナが激突し、副操縦士は大空へ放り出され、航空機関士は死亡、残った機長も到底立ち上がれないほどの重傷を負った。機体は辛うじて自動操縦で飛んでいるが、残されたフライト・アテンダントはじめ乗客乗務員でこの機体を無事着陸させられるものはいない。

墜落……死。

そのような状況で、人は残された時間をどう過ごすのだろうか。

「エアポート'75」本編に出てくる1組のカップル。支給された毛布にくるまり、小刻みに揺れていた。

おそらくこっそりと(冒頭に書いた)座位でセックスをしているのだろう、自分たちが生きていたせめてもの証として……そう思わずにはいられなかった。しかし。勃つのか? 濡れるのか? 立ちはだかる恐怖を乗り越える性欲があるのか? 手に汗を握った。

一方その頃別の座席ではリンダ・ブレアが相変わらず寝っ転がっていた。お前はいつになったら起きるんだ、と小言を言いたくなったが、本作はその前年度に公開された「エクソシスト」とは無関係なのでグッと堪えた。寝ていて仕事になるなら私にも紹介して欲しい。う~ん、寝てみたい。

そして本作の主演であるチャールトン・ヘストンは冒頭から多忙を極めるチンポマンだった。空港で再会したこの機のフライト・アテンダントであるカレン・ブラックに対して、

「俺忙しいからお前と一緒の行動は出来ないけど、ちょんの間でいいから今から一発ヤらせろ」

という意味の事をやんわりとした語彙で告げ、当たり前だがブチ切れられていた。

その後ホテルでぼんやりしていたチンポマン、いやチャールトンだったが、彼女が乗った機体がそのような事態になっている事を知り、管制塔に出向いて無線越しに飛行機の操縦方法を伝えるがそのうち無線も故障。仕方がないのでヘリコプターで追いつき、衝突した際に出来たコクピット右側面の穴から機体を操縦できる代わりのパイロットを侵入させようとする。

だがしかし、これはチャールトン・"チンポマン"・ヘストン主演映画だ。残念だがこのパイロットには死んでもらおう。

「うわー」

観客に凄くわかりやすい描写で、パイロットは画面から消えた。

「俺が行くしかないな、"仕方がないが"、俺が……」

こうして無事ジャンボに乗り移ったチャールトンだったが、無傷だとイマイチ格好がつかないので、「痛いけどチャールトン頑張る!」という程度に手を怪我した。

そして機体は無事着陸し、映画は終わった。

ラストで乗客が緊急脱出スライドを使って脱出するシーンで、滑り降りる際にパンチラしていた女性が2名ほどいた。しかも1人は尼さんだった(と思う)。

尼さんのパンチラとその生足が拝める映画がこの世に何本あるだろうか。断っておくがここでいう尼さんエロカットにはポルノを含めない。差別する訳ではないが、あくまで一般論を展開する目的で普通の劇場にて公開される映画に限定した事をご承知おき願いたい。

それにしても近年の尼さんポルノには、もっとしっかりしたオーディションを行って欲しいと言いたくなる作品が多々ある。こちらは神に仕えし女性が淫らになるから興奮するのである。よくあるのがバックでやるために修道服をめくりあげると、仙骨のあたりにタトゥーが彫られている、など。ポルノ女優がタトゥーをすることそれ自体を悪いとは思わないが、普通のポルノファンが尼さんに求めているイメージからすると、これでは興ざめしてしまうのではないか。

我々映画ファンが忘れてはならない事が2つある。ひとつは「エアポート'75」は航空パニック映画のパイオニアであり、もうひとつはタトゥーを入れていない女性こそ尼さんポルノで修道女役を演じるべきだという事である。

─了─

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