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ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987


Beat Child 1987

感想:

あらかじめ断わっておくと、以下はこの映画の感想という訳ではない。

何故ならぼくはこのイベントにオーディエンスとして参加していたからだ。だからこれは当時の想い出と、そのついでの映画に対する駄文である。

このイベントに参加した理由はふたつあって、ひとつは好きなアーティストたちが出演していること、もうひとつは自分の住んでいた田舎から鉄道を使って約3時間ほどの場所で開催されるからだった。もしこれが関東とか、いや九州であっても福岡とかであれば行かなかっただろう。つまりは、そんなド田舎にテレビや雑誌でしか観た事のないアーティストたちが集結して次々とライブをカマしてくれるというのである。ぼくはこのおそらく二度とないチャンスを逃がすわけにはいかなかった。そしてそれはその通り二度と行われない阿鼻叫喚のライブと化した。

18歳禁止のオールナイトライブ。ぼくは幸い18歳になったばかりだった。親に頼み込み、ライブへ行くことの許可と、チケットを買うためのお金をねだり、それらを得た。今と違い当時はオンライン購入もコンビニ決済もない時代だったから、最寄りのプレイガイドまでチケットを購入しに行く必要があった。そこまでの交通費だけで往復2,000円であったから、ぼくがどれだけ田舎に住んでいたかはおわかりいただけるだろう。

チケットを入手し、その当日が来た。友人二人が同行した。ひとりはぼくにBURRN!やロッキン・オンを貸してくれた奴で、もうひとりは当時組んでいた学生バンドのギターだった奴。ぼくはダイエースプレーかスパイキーを使って頭をツンツンに立たせて家を出た。とにかくブルーハーツが観たかった、そんな時期。

最寄り駅で、当時英語の担当だった女の先生に出会った。彼女もBEAT CHILDに行くという。その恰好はまるで登山。8月だってのに、上から下まで厚手の生地で、リュックまで準備している。ロックからほど遠いその恰好をぼくらは笑った。

だがしかし、今思えばその恰好は全く正しい選択だったのだ。

アスペクタから現地に一番近い駅からは、シャトルバスが出ていた。ぼくらはそれに乗り、現地についた。指定されたブロックの、なるべく前へ。ステージ向かってかなりの右端だったが、ステージとそこで準備をしているスタッフの様子は確認できるくらい近い位置だった。この距離で、自分の好きなアーティストが観れる。振り返れば、山の中腹まで人で埋まっている。その人たちと比べたら、断然素晴らしい場所だった。

突然の土砂降り。

家を出た時におっ立てた髪の毛はものの5分もしないうちにうなだれ、衣類はびっしょりと濡れた。ロック魂を簡単にはがされた18歳の貧弱な少年は、暴雨具を持ってこなかったことを早くも反省した。中止にはしないという運営のアナウンス。それはそうだ、まだこの状態でやっぱやりませんなんて言おうものなら雨に濡れたヤケクソ感も手伝って暴動が起きても不思議ではない。ぼくらはただひたすら、しょっぱなのバンドがステージへ登場するのを待っていた。

事態を察してか、ザ・ブルーハーツの甲本ヒロトがステージに出てきて、スタートを待っているぼくらに冗談を交えながらエールを送る。ステージ袖にはモヒカン…梶くんがいる。ブルーハーツが、この場所にいる。それを知っただけで、ぼくはこの雨があと何時間降ろうが待ってやるという気になった。

さてここで、このイベントの出演アーティストをみてみよう(登場順)。

THE HEART…※本編には未収録
THE BLUE HEARTS
UP-BEAT…※本編には未収録
RED WARRIORS
小松康伸…※本編には未収録
岡村靖幸
白井貴子&CRAZY BOYS
HOUND DOG
BOOWY
THE STREET SLIDERS
尾崎豊
渡辺美里
佐野元春

この顔ぶれ。今の子たちから「これってロッキン・オン社主催?」と思われても仕方がないだろう。当時ブイブイ言わせていたマザー・エンタプライズのアーティストたちがかなりの数入っている。事務所は関係ないだろ、と言われれば「ミュージック・トマト・ジャパン」の常連たちとでも言おうか。また毎月毎月「ロッキング・オン・ジャパン」を買っていた読者にとっては、余計なものがないまさに夢のような布陣。これを見ずには帰れない。いや、これから歩いて駅までたどり着いたとしても、その時間には既に終電がなくなっているほどの田舎であることを知っているぼくは腹をくくったのだ。

【あの時の事でまだ覚えていること】

THE HEART…※本編には未収録
新人でデビュー曲はテレビで見たことがあるものの、尾崎路線であんまり好みではなかったので「早く終わんねぇかなぁ」と思いながら観てた。ヴォーカルが間奏でやぐらに登ったり下りたりしてた気がする。
翌年、「雨はやみそうもない」という曲を発表したのでこの日を思い出して笑ったが、内容は知らない。

THE BLUE HEARTS
バンドを知ったのは「ミュージック・トマト・ジャパン」で、当時放送を毎回ビデオテープに収めていて、「アタリ」だと思ったバンドだけ録画していた。いわゆる「PV」、映像表現を記録に残したくて録っていたので、ライブ映像だった”リンダリンダ”はパスしてしまった。しかしその後ずっとそのサビは頭の中で流れ続け、「あの曲は一体なんだったんだろう」と思いながらファーストを買って衝撃を受けた。26年間が経ったとは思えないくらい、今なおヒロトもマーシーも変わらない。

UP-BEAT…※本編には未収録
“KISS IN THE MOONLIGHT”が耳に残ったくらいで、あと覚えていない。

RED WARRIORS
この年の6月に2ndアルバム、"CASINO DRIVE"をリリースしたばかりで、当時ストーンズもエアロスミスにも関心がなかったぼくは、「日本人にしてはなんてワイルドなパフォーマンスをする連中だぜ」と思いながら観ていた。ギターのリアにシングルコイル1個、ジャギジャギと歯切れのいいカッティングをするシャケは素晴らしく、ユカイのヴォーカルも野太くて、雨天とはいえ野外で聴くロックとしては最高に格好良かった。

小松康伸…※本編には未収録
全く覚えていません。

岡村靖幸
第一印象は、「何だかプリンスみたいな兄ちゃんが出てきたなぁ」。そして阿蘇の大地7万人とも言われたオーディエンスに向かって、
「ぼくが今何考えてるか分かるかい……? 君とセックスする事! ボウッ!!」という強烈なMC。ここは26年ずーっと覚えていた。演奏上手いなー、という漠然とした印象しか残っていない。

白井貴子&CRAZY BOYS
映像を観るに、雨はこの時間が一番酷かった模様だ。ステージはビシャビシャ、ギターが死ぬ(音が出なくなる)、モニタが死ぬ、マイクが死ぬ。ナレーションではこのライブが始まるまでに前のバンドが演奏を終えてから1時間半を要したというが、のど元過ぎれば何とやらで、その間をどうやって過ごしたのかは覚えていない。

HOUND DOG
この日を境に大好きになった。特に”Rock'n' Roll Laliart”の破壊力。正直、始まるまではナメていた。とにかく客をノセるのが上手い。時折ギャグをはさみながらも、演奏は手を抜くことなく全力で繰り広げられる。「狂ってる」と思ったのはキーボードの蓑輪単志で、地上から数メートルの位置にあるステージ袖に向かっての全力スライディングは、この日初めて「死人が出る」と思った瞬間だった。また本作では語られていないがベースの鮫島秀樹は頭上へ放り投げたベースをキャッチするのに失敗し、左手を大流血する怪我を負っている(音を聞くとその事故の後はベースが(左手で抑える必要のない)開放弦の音以外は聴こえない)のだが、スクリーンでそれを再確認することが出来た(結構な量の血がズボンに付いている)。
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ハウンドドッグが自分たちの演奏を終えた頃、観客側では雨と寒さによる失神者や具合の悪くなる人たちがいよいよ増えていた。ひっきりなしに救急車のサイレンが聞こえる。ぼくたちも体調こそ問題なかったものの、暖を取る場所すらないこのだだっ広い場所で震えていた。そんななか、開催関係者は観客へこんなアナウンスをした。

「具合の悪くなった方はスタッフへ申し出てください。現在関係者スペースを救護者の方へ開放しております。また近所の公民館を避難所として準備する手配をしておりますので、具合の悪い方、スタッフへお申し出ください」

…今何て言った? 「関係者スペースを開放している」!?

つまりそこは楽屋が観れるかもしれない場所であり、もしかしたらアーティストと会えるかもしれない場所である。そう思った瞬間、ぼくの足は関係者スペースへ向かって歩き出していた。

「すいません、もうちょっと気分悪くて立ってられないんスけど」

そう申し出たぼくをスタッフは丁重に「救護スペース」へ導いてくれた。もちろん寒いが特に具合は悪くないぼくを、だ。いちいち確認するほどスタッフも暇ではなかった。こうしてぼくは何時間かぶりに、「雨が降っても濡れない場所」を確保することができた。

横になるための毛布が敷かれたそのスペースは、さながら野戦病院のようだった。運ばれてきた客が累々と横たわり、あるものは医者に診られ、あるものはガタガタと震えながら支給された温かいお茶を飲んでいた。

ぼくも案内された自分の分のスペースに座った。そのまま寝るにはあまりに濡れすぎていたので、上半身を起こしたままこの惨状を観察していた。そこへ。

シャケがいた。自分の憧れたミュージシャンを、これだけ近くで見た初めての体験だった。

とはいえぼくは救護者という体でここにいるのだから、やおら立ち上がってファンなんです握手してください、などとは言えない。辛い感じで、とんだ災難だという表情をしながら、シャケを目で追っていると、彼と目があった。すると。

シャケはこちらへ、自分の持っていたタオルをポイッ、と投げてくれた。

それを受け取った瞬間、全身が痺れた。それは寒さや濡れからくるものではなく、自分の好きなアーティストが気まぐれにぼくに取ってくれた行動に感動したからだ。彼はそのまま、フラフラと別の場所に移動していった。

しばらくして、ぼくの場所にも医者がやってきた。足の指の感覚があるか触診された。これは何指ですか、触ってるのわかりますか。シャケイベントを終えたぼくはふと冷静になった。ああ、もうこの場所は本当に具合の悪い人に開けてあげなきゃいけない。そう思って「もう大丈夫だと思います」と医者につげ、その場を離れた。

急ごしらえの救護スペースの端っこで、お茶を飲んだ。スタッフが「これに着替えてください」といってスタッフTシャツを渡してくれた。ラッキー以外の言葉が思いつかなかった。その傍では、出演者用のモニタでスタッフがライブの模様を確認していた。席が空いていたので、ここ座っていいですかと確認を取り、しばらくモニタ越しにライブを観ていた。スタッフTシャツがある程度のカモフラージュとなり、居心地は悪くなかった。

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BOOWY
救護スペースで観たので、ぼんやりとしか覚えていない。当時はあまり好きではなかったので、聴いたことある曲だな、なんて曲かは知らないけど、くらいの感覚で眺めていた。今考えればもったいないことこの上ない。映像で再確認してもメンバーのテンションも滅茶苦茶高くて素晴らしいライブだったのに。
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だいぶ体もあったまって来た。このままここに居続けることは出来ないだろうが、さてどうしたものか。いつの間にかそのモニタの近くに座っていたシャケが言う。

「次スライダースだねぇ」

スライダース。これはモニタで観る訳にはいかない。BOOWYが終わり、セットチェンジして彼らが出てくるまでぼくはその救護スペースで暖を取って、ハリーのシャウトが聞こえた瞬間に再び野外に飛び出して行った。今まで具合が悪かったのが嘘みたいに。いや、嘘だったのだが。本当に申し訳ない。時効につき赦してほしい。

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THE STREET SLIDERS
折角立てたハリーと蘭丸、そしてリーゼントだったジェームズの髪が、激しい豪雨でどんどん潰れていく。こんな髪の彼らを観るのはPV”BACK TO BACK”の湖上のシーン以来だ。珠玉のナンバーを次々と演奏する彼ら。雨なんか気にならない。再びびしょ濡れで、また体が冷えたけど、本当に今日ここにこれてよかったとぼくは思えた。

尾崎豊
覚えていない。数々の曲を聴いたはずだが、覚えていない。ただ、「尾崎豊」という存在がずっとそこにいた、という事だけが記憶に残っている。
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とここまで来て、雨の中で再会してライブを観ていたぼくと友達は、ついに力が尽きようとしていた。このままあと数時間ここにいて、それからおそらく大混雑するはずの退場指示を経て、またそこからバスに乗って、鉄道に乗り継いで、2時間以上かけて家に帰る……。その体力があるかどうか確認して、やはりこの辺で帰ろうという話になった。今から歩けば、おそらくバスを使わなくても始発列車が出るくらいに駅にたどり着く。残りのアーティストを観れないのは残念だけれども、ぼくらはそうして会場をあとに、山道を駅へ向かってとぼとぼと歩き始めた。 だから渡辺美里は観ていない。映像で確認するに、やはりあの時間あの天候でこういうジャンルの曲を聴くのは辛かったと思う。もし晴れていれば、寝そべりつつ月でも眺めながら聴けたら最高だったろう。
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帰り道は、ぼくたちと同じくリタイアした人たちが大勢歩いていて、実際に見た事はないが敗戦時の引き揚げ集団を思い起こさせた。充分に水を含んだ靴靴がグチュグチュと音を立てている。時折通りかかるタクシーに親指を上げるが、もちろんこんな泥だらけの客を乗せてくれる酔狂な車はなかった。段々と空は白んで、夜明けが近い事を感じた。ぼくは救護スペースで起こった事を友達に話して、最後にこう加えた。

「そういえば、シャケはいたけどユカイは見なかったな。やっぱ早々にホテルに帰って、グルーピーとセックスしてるんだろうなぁ……いいなぁ」

雨は上がった。それだけで足取りはだいぶ楽になった。体は濡れたままだったが、再び濡れる心配をする必要はなさそうだ。

「あ、”SOMEDAY”」

既に遠くなってしまったアスペクタから、佐野元春の”SOMEDAY”のイントロが、周囲の山々の反響音を連れて聞こえてきた。もうそろそろあっちも終わるんだね、と友達が言う。もう1人が、雨あがるんだったら最後までいればよかった、と強がりを言う。駅が見えてきた。もうすぐ18の夏の貴重な体験が終わる。だがこれっぽっちも寂しくなかった。

その後どうやって帰ったのかなどは、全く記憶にない。
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BEAT CHILDは、イベントとしては完全に失敗だったと思う。今ではすっかり確立された移動手段の確保、救護施設の準備、万が一の時の対応などがことごとく不充分だったからだ。もしあの日が朝まで晴れだったとしても、きっとどこかでBEAT CHILDと同じような惨劇が起きていたと思う。実際、この10年後に行われた第一回フジロック・フェスティバルにおいても同様の事態が起こっている。

映画を観終えて、改めてあのイベントは一体なんだったんだろうと考える。映画で語られているような感動的な一夜ではなかった。記憶に残っている多くは悲惨な出来事ばかり。だからこう考える。あれは、当時の日本のロック・ビジネスが大人になるために必要な地獄だったのだ、と。

酷い目にあってから26年、今も変わらずぼくはロックが好きだ。だから制作者側から「ベイビー大丈夫か」なんて心配される必要は全然ないんだ、あの日もこれからも。

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