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ヘイトフル・エイト


Hateful Eight

感想:

タランティーノ映画には「どうでもいい話だけど洒落たセンスの駄話」というチャームポイントがある。わたしは数年前から英語を勉強するようになり、だいぶ聴き取れるようになってからタランティーノ映画を観返した際それを実感した。「レザボア・ドッグス」の冒頭会話が、「パルプ・フィクション」でのサミュエル・L・ジャクソンのダイナーにおける強盗への説教が、字幕を追いながら鑑賞していたころとは見違えるように輝いた。

こういった面白さは(文字数制限などもあることから)字幕では伝わらない部分がおおく、だから本作のように上映時間が三時間弱ある中大部分が会話劇で占められている本作を字幕で追いながら観ている人の中には、これを退屈ととる人もいるかもしれない。

登場人物のいでたちからは、同監督の前作である「ジャンゴ 繋がれざる者」を思い出す人もいるだろう。実際会話中にはジャンゴ同様人種差別発言も多い。そういった連中が吹雪を理由に同じ空間で過ごさなければならないという状況のなかで、彼らは一人、また一人、タランティーノ映画らしい展開と描写で死んでいくことになる。

そういうことであれば、「最後に生き残るのは誰か」というポイントが重要になってくると思うのだが、5つあるチャプターの中のその最後の部分で、そこは豪快に放り投げられる。これは2014年時点に本作の脚本が流出したことも原因ではないかと勘繰る。タランティーノは一時制作中止を宣言し、脚本についてはチャリティーイベントで朗読会を開く事で弔うことにするはずだった。しかしこの朗読会の反応がすこぶる良かったという事で本作を映画として残す情熱が戻り、結末含めある程度脚本を書きなおしてプロジェクトを再開したのだという。

そしてタランティーノはそこに、昨今における映画オタクならではのプレミアを付けた。全編70mmフィルムでの撮影である。その意気込みは脚本からもみてとれて、ネットで検索してみつけた本作脚本の冒頭部分を翻訳したのが下記だ。

 

チャプター1 レッドロック行きの駅馬車最終便

暗転からのカット:
ワイオミングを70mmスーパースコープワイドショットで
屋外 ー 真冬のワイオミング山脈 ー 雪の日
(この映画では全編で使われている)70mmフィルムを使った息を呑むほどの雪山風景。
目を見張るほどの眺望に、神経が乱される音楽がかかる。
やがて、この偉大な70mmスーパーシネマスコープのフレーム左下隅に、駅馬車が六頭の馬に力強くひかれながら向こうからやってくる。
ハッキリした時代はわからないが、南北戦争が終戦してから6~8年、または12年ほど経っている。

 

わかったから!! あんたが70mmフィルムで撮りたいのはわかったから!! と読んでるそばからそうなだめたくなるほど、脚本中に不必要なのでは思う勢いで「70mmで」という描写が出てくる。次のページにも出てくる。暗に映画会社へ撮影条件を宣言しているのだろうか。「そうじゃなきゃ撮らない!!」と脚本段階からゴネる気満々の姿勢だ。

かくして70mmで撮られた映像は、残念ながら国内ではデジタル上映だったのでその本当の良さを感じる事は難しいのだろうが、意外と観やすかった。きっちりと、どこに何が映っていて、それらが、またはこちら(カメラ)がどう動くか、事前にしっかりと計画したうえで撮られているのだなと推測した。

ンで本編。

「パルプ・フィクション」では「俺んちの玄関に"ニガーの死体置き場"って看板立ててねぇのは、そんなの引き受けてねぇからだよ!!」という台詞を自ら演じた役で言い放って物議をかもしたタランティーノだが、前回「黒人が奴隷として扱われ、面と向かってニガーと言えた時代であればニガートークが出来る」と思ったのだろうか。加えて今回は南北戦争という、「同じアメリカ人でも敵側の人間は憎い」要素を加えてのストーリーになった。

それも踏まえて登場人物をみると、「ヘイトフル・エイト」が指すものは観た観客が不快に思う性格をした8人ということではなく(もちろん観ていて不快に感じる人物がほとんどだが)、「8人ともこの中の誰かに"ヘイトフル"な感情を持っていて、その想いを抱いた人間が同じ空間に8人いる」ということになる。だからこの映画は「誰が誰のことをどのくらいヘイトフルな存在だと思っているのか」が語られる部分こそが、一番のみどころなのだと思う。

「長い割には終盤以降唐突な展開が続くし、長い割にはあっさりした終わり方だ」

と感じるのは、タランティーノ自身がそもそもそのあたりは重要で無いと考えていたから、という気がする。未見なのでわからないが、ひょっとしたらボツになった草稿の方では、長尺にふさわしい(ラストマン・スタンディング的な)結末となっていたのかもしれない。

見知らぬ他人を憎むその理由は、肌の色であったり、産まれた場所であったり、かつての敵味方であったり、正義感からくるものであったりする。しかし傍から見ている我々にとっては、それが憎い相手の命を殺める程なのだろうかと考えてしまう(死刑が執行される人物をその執行者から救うという明確な目的を除いては)。

ともかく、わたしがこの映画にいたく感動したのは、あれこれうるさいこのご時世に、口の減らない性悪女を容赦なくぶん殴ったり吊るし首にしたりする物語を綺麗に紡いだということだ。いや素晴らしい(暴力賛美ではなく、表現の自由という点において)。

字幕が無いと何喋ってるかわかんねぇくせに「原語で聴かなければ本当の良さはわからない」とか通ぶってる馬鹿が国内におけるタランティーノ映画のファンに多いからだと思うが(俺の勝手なヘイトフル対象)、吹替版の上映が無い事がつくづく残念な映画。

DVDになったら吹き替えにて是非また観たい。会話が肝なんだから、言い方一つでゾクッと出来るだけの認識が個人的に出来る日本語で観たいです、はい。

英語は不得意なもので。

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