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銀座の恋の物語


感想:

心の底までしびれるような 吐息が切ないフグ中毒。

「銀座の恋の物語」という曲には「カラオケ付きのスナックでおっさんが連れの女性(もしくは店のホステス)とデュエットしてあわよくば今夜、という下心満載で熱唱する曲」程度の認識しかなかった。

同名の映画があるという事は知っていたが、主演の石原裕次郎は私が小学生の頃には既に結構なおっさんオーラを醸し出しており、さらに彼の持ち歌である「ブランデーグラス」というタイトルから想起させられる大人の世界のイメージも相まって、全く観る気が起きない一本となっていた。

しかしよく考えたらこの映画に出ていたころの裕次郎はまだ若かったはずで、調べてみると当時28歳だった。そのような年齢の男子が、銀座で恋してる模様を女子とデュエットしているなんて「お前はどこのセレブだ」などと思ったが、同時にちょっとだけ興味が沸いたので観てみた。

 

舞台は1962年。当時の銀座では、移動手段として人力車が使われていた。マジか。

 

人力車は、現在では浅草をはじめとした観光地などでしか見れない「なんちゃって移動手段」である。つまり楽に移動したければタクシーはじめとして色んな方法がある訳で、あえて人力車で移動する理由というのは、それに乗って移動していた当時の人々の感覚を疑似体験したいからに過ぎない。それ程までに衰退してしまった人力車がこの映画では観光アトラクションとしてではなく、「移動手段として」普通に銀座を走っていた。

世界で一番信頼できる情報サイトであるWikipediaによると、昔の銀座というのは若者が通う町だったらしい。つまり、この映画が上映された時の「銀座」と、当時の様子を知らないおっさんがこの歌を歌う際にイメージする「銀座」とは、かなり違う意味をもつ場所だという事になる。

なるほど、この映画はザギンでチャンネーとベーキューでシースー、シータクでルーホテ行ってパイズリからコーマン、なんてイメージが無かった頃の銀座の話なのだな。

今ならばどこになるだろうか。阿佐ヶ谷ほどアングラでもないし、渋谷程チャラくもない。新宿程殺伐とはしていないし、池袋程の吹き溜まり感も無い。貧しい若者でも家賃を払えるレベルの物件があり、夢を掴む行動をするのに不便じゃなくて、ある程度街が栄えていて、おしゃれだな、とも感じるところ……三軒茶屋、いや今だったら吉祥寺か。「吉祥寺の恋の物語」……ああ、だいたいどんなボンクラがつまんねぇ夢描いて貧乏してるか想像出来る。

タイトルとなった曲は既に日本中で大ヒットしていて、それがきっかけで映画になったという。そういう訳でストーリーは取ってつけたようなもんで特にどうという事は無いのだが、ざっくり言うとセルアウトを拒むアーティスト希望の裕次郎が現在ではすっかり聞く事の無くなった「お針子」として働く浅岡ルリ子から、「いつまでも芸術家気取ってねぇでとっとと正社員になってアタシと籍入れろ」と詰め寄られたり、裕次郎の同居人でジャズ・ピアニストとして一旗揚げようとしているジェリー伊藤が月賦の不払いが続いたことにより強制タケモトピアノの刑に遭い、「ピアノ持って行かないでチョーダイ」と抵抗したのち犯罪に手を染め豚箱行きになったりしなからも、最終的にはめでたしめでたしとなる感じのラブ・ストーリーだった。

現代においてのこの映画の鑑賞ポイントとしては、60年代初頭の銀座の街並みや人々の日常風景を知る事が出来たり、また本作以前から日活に建てられていた、銀座の街並みをオープンセットで再現した「日活銀座」の(今の邦画事情と比較しての)とんでもなさを確認することが出来る点だろう。

映画における演出やテンポなどが昔の邦画ならではのものなので、所々で突っ込むところなのか流すところなのか判別に苦しむ事があり、例えばビールで乾杯するシーンでは役者が尺に収めて演技しようと慌てたのか、コップに注いだビールがどれもこれも泡ばっかりで、しかしそれを構わずに無理矢理乾杯している様などは思わず爆笑した。

恋愛映画でありながら、接吻シーンはなかった。熱い抱擁はあったが、そんな程度のラブシーンでは現代人の私のリビドーは到底満足しない。申し訳程度にヒロイン役の浅岡ルリ子がシミーズ姿になっていたが、これでどうしろというのか。いやしかし当時の男性観客にとってはこの程度のお色気であってもその映像を自分の網膜に焼き付け、帰宅してから蒲団を敷き、眠りに着く前の前立腺ナイト・キャップに出来たのかもしれないと想像すると、涙を禁じ得なかった。

そしてそうやってこの恋愛映画に感化された若者男性諸君が、「俺もいつかは裕次郎のような恋を」「いつかは女人と口吸いを」「いつかはこの手におっぱいを」「いつかあわよくばおまんこを」と決意し奮闘した結果高度経済成長期が訪れ、その好景気を再び作り出すべく仕事を生きがいとして24時間働いた企業戦士たちがバブル経済を生みだし、それが崩壊した後のダメージを今また21世紀の社畜たちがサービス残業をものともしない働きで回復さたあげく企業家として立ち上がろり、その成功の暁に繰り出す約束の地として夢見る場所として銀座があり、そしてそこへ辿り着くまでに味わう辛酸や屈辱を堪えるがため、自身の初心を思い出すため今はまだ場末のスナックにて「銀座の恋の物語」を歌うのだとしたら、私は彼らがホステスを口説き半分でデュエットに誘う事を許してやらんこともないが正解は多分違うのでこれからも彼らには殺意を抱きつつ「ロンリー・チャップリン」で対抗しようと考えている。自腹じゃそんなとこまず行かんけどな。

おわり

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