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ゴーン・ガール


GONE GIRL

感想:

エイミーはニックを愛している。彼女なりの愛情表現で。

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映画「ゴーン・ガール」の評判が良いので観に行った。レイトショーだったので観客は10人程度だったが、うちカップルが3組ほどいた。

私はいわゆる「バツイチ」というやつで、前妻と別れてから4年ほどになる。その私の鑑賞後の感想は、

「……よかった!! ウチだけじゃなかった!! ああいうのは、良くある話なんだ!!」

という、安堵を伴ったものだった。

「良くある」というのは夫婦間の愛情問題を指していて、「私も以前妻を殺したのではという濡れ衣を着せられた事がありましてね、」という話ではない。

映画の2人と違って不仲の末離婚出来た私はエンドロールがはじまった瞬間、

「セーフ!! 俺セーフ!!」

と胸をなでおろすことが出来たのだった。

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ニックとエイミーは倦怠期真っ只中の夫婦だ。夫のニックは妻エイミーの事にほとんど興味を持つことなく、毎日を過ごしている。

ニックはすっかり変わってしまった。彼はそんな男じゃなかった。彼女の事を両親以上に分かってくれる人だった。エイミーが何を好きか、どんなことをしたら喜ぶのか、それらを口に出さなくても察し提示する事が出来るほど理解していた。今まで付き合った男たちの誰よりも、いやひょっとしたらこの世界の誰にも真似出来ないレベルで。

ニックは、ちんぽに脳がついていることを除けば至ってまともな人間だ。もちろんここでいう「ちんぽに脳がついている」というのは比喩であって、つまりは性欲に関して素直な人間だという事だ。事実、妻が失踪したというのに良いケツを見つけると思わずチラ見してしまったり、「今バレたら終わり」という状況でも不倫相手と事に及び、ヤッたらさっさと帰すはずが気が付けば寝落ちして朝を迎えていた、という具合でだらしない。

出会ったころのニックはエイミーにとても優しかった。シャワーも浴びていない彼女のまんこを優しくクンニしてくれた。自分もフェラして欲しかろうに、その欲望を後回しにして、優しく優しくクンニしてくれた。挿入よりもフェラよりもまずクンニを大事にする男性が、一体この世の中にどれほどいるだろうか。相手にしか快感を与えない奉仕行為。しかし結婚から5年経った現在、ニックはセックスもクンニもしてはくれない。

クンニ破れて山河あり。クンニ無くしても夫婦生活は続く。


愛情が残っているエイミーは、彼がいくら憎くても自分の手で殺すなんてことは出来ない。一緒に無理心中しようとも思わない。だけれど、法や第三者が彼を裁くのであれば、それはあきらめがつくと考える。だって「彼が間違っている」という事を彼自身に気付かせる為には、最早彼女自身の言葉や行動だけでは駄目なのだ。だから「自分はひどい人間だ」と彼自身に反省させる為の計画を練った。だけど彼には「チャンス」も与えておこう。助かるためのヒントを残す。彼が未だに自分の事を理解してくれているのであれば、自身が迎えるであろう悲惨な結末にどうにか対策を打つ事が出来るヒントを。もし彼がそれを解らなかったらどうなるか? ミズーリ州には死刑制度がある。

「そして私も死ぬの。たぶん死ぬんだと思う。……死なないんじゃないかな?ま、ちょっと覚悟はしておけ」

計画は順調に進む。事の成り行きを身を隠しているモーテルのテレビで確認し、エイミーは当初決意していた自殺という選択肢を取り消す。彼は狙い通りに凹んでいる。それみたことか、私を今まで苦しめてきた報いだ。自分の不徳を思い知るがいい。でもこの事件、いや私たちの関係を他人にDisられるのはムカつく。悪口を言うやつがいたら、そいつの飲み物に唾を入れてやる。これは私たち2人の問題なの、事実を知らない人は黙っててちょうだい。世界は2人のために動いているの。だからもう死ねないの。

3年目の浮気。5年目の破局。両手をついて謝ったら許してあげない事もない。

彼に不遇の時期が続いたとはいえ、エイミーが求めているのは安定した生活ではない。愛情だ。それは彼女が有り金かっさらわれて泣きついた元彼との態度で分かる。助けてくれた大金持ちの彼と結ばれれば、何不自由ない生活が保障されているのは間違いない。湖畔の大邸宅で、一流の家具と生活用品に囲まれ、残りの人生を過ごすことが出来る。

でもそこには愛が無い。

正確にいうと「愛されていても、愛していない」。この状況では生きていけないとエイミーは直感で分かっている。シャツ1つにしても、ニックは私にどれを選べば喜ぶかわかっている。値段が高ければ、品質が高級であればいいというものではない。だけどこの人は私の好きなブランドひとつ知らないだろうし、知ろうとも思わないだろう。このまま結婚したとしても、記念日にもらうプレゼントはトンチンカンで的外れなものに決まっている。それにそもそもここは私のいるべき場所じゃないのだ。

そんな中、彼女はテレビで彼の謝罪を目にする。

カメラに向かって訴える彼。自分がどう振る舞ったら私が赦すのか、未だに彼は覚えていた。完璧な台詞と態度で、贅沢にもテレビ番組で、何百万という人間が見ているなか、「私にだけ」語りかけ、「謝ってくれた」。

エイミーは彼を赦す。彼女の人生における真の理解者は、やはり彼しかいない、そうとわかればここに用はない。今までの計画を帳消しにして、好きでもない男を用済みにして、彼の元に戻って、そして――

幸せになるのだ。死が二人を分かつまで。

そして彼女は戻ってきた。大勢の目がある以上、彼も彼女を赦さざるを得ない。だがそれだけでは不十分だ。もう二度と離れないように出来る事実と、お互いが今後共有し大事に出来るものを作るのだ。私が欲しくて彼が拒んだもの――それを今、私は手に入れる権利がある。反対するものなど、一人もいないだろう。彼を含めて。

子はかすがい。自分を金槌で殴った甲斐があった。

幼いころから良い子を演じ続けてきたエイミーにとって、これからも良妻を演じる事は苦ではないだろう。反対にニックは自分の好む好まざるに関わらず、セックスの選択権だけは与えられた状態で、それ以外の彼女が喜ぶことを演じ続けなければならなくなるだろう。数年前まで自然に出来ていたその行為は、今や苦痛でしかない作業へと変化していた。彼女が本当は今何を考えているのか、最早ニックにはわからない。

こうしてエイミーは夫も認める「Amazing」な「Amy」となった。そしてそれまでずっと自分を縛ってきた「完璧なエイミー」の物語と決別した。今後は何者にもとらわれない新しい物語を「自分の手で」紡ぐことが出来るようになったのだ。これからはじまる「新・完璧なエイミー」の登場人物となった2人には、幸せなことしか起こらない。いや、幸せなことしか「起きていないように振る舞える」。結婚とはそういうものだという事に気付いたから。ニックの弁護士が「奇跡」と表現した二人の物語、その結末はハッピーエンド意外にはあり得ない。彼ら以外の人間が傍目から見る限りでは。

 

エイミーはニックを愛している。彼女なりの愛情表現で。その愛は、今や相手の気持ちなど考えらていれないほど、自分にとって大切なものなのだ。

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