きんたま空間



 トップページ » 映画感想 » かぐや姫の物語 

 

かぐや姫の物語


The Tale of Princess Kaguya

感想:

真に裕福な人と成金の違いは何かと言われたら、「品位」と即答すると思います。

例えば同じ1億というお金を持っていたとして、真に裕福な人はそれを自慢しません。何故なら自分が満たされているのは、お金を持っているからではないという事を知っているからです。また裕福な状態が代々と続く家系であれば、そもそもお金がある無しによる幸せの違いというものを感じることが難しいでしょう。成金というのは得てして成功するまでの貧乏だったころに受けた屈辱や差別を、成功して得た所持金や資産によって見返しているだけの人だと思います。お金は手に入ったのに、まるでまだまだ足りないと言わんばかりに振る舞い、それまでの自分がそうされて悔しかったことをすっかり忘れるかのように、「持たないもの」を笑います。少なくともぼくには幸せにみえません。

むかーし食事をご馳走になった事があるんですよ。自分の給料ではとても一回の食事としてはポンと出せない金額の、こんな身なりの自分が入っていいのかとためらう落ち着いた感じの店でした。コース料理を頼んで、ほか弁何十個買えるかわかんない額のワインも注文して、アラカルトで食いたいものあったら頼んでいいって言われてステーキ頼んだりして。そうして恐縮しながらも食事が終わってお勘定となった時に、その人はやったわけですよ、両手に1枚ずつゴールドのアメックスカード持って、「プライベートと仕事用、どちらで払えばいいかなぁ?」って。高級な食事をおごってもらった事それ自体には感謝していましたが、なんだか品がねぇなあ、周りがいる中であけっぴろげにこんな真似するなんて恥ずかしいなぁ、って。今でも思い出すのはその行為でぼくが感じた劣等感ばかりで、その食事は食べたもんの味なんてどうでもいい、単なる思い出したくない記憶のひとつになってしまったのです。

ブログやSNSとか見ても、そういった「良いメシ食ったカキコ」みたいなのがあると萎えます。いや、みんなとワイワイやってる飲み会とか、旅行先で見つけた名物とかならまだわかるんですよ。だけど食べ方にマナーのひとつもある高級なお店でスマホとかデジカメ取り出して、一品出てくるごとにパシャリパシャリって、周りからみたらどこのカッペが上京してきたんだ、何年貯金して来れたんだって見られてもおかしくない話ですよ。そもそも料理の写真なんてプロには敵わないんだし、つまりは自分が今「明らかに他人が見たら羨む類のメシを食っている(それだけの生活レベルにいる)」という自慢をネットでやりたいだけで、スープは冷めるし会話は途切れるし、何より「食事を楽しむことが出来ない」というのは本末転倒ですよ。繰り返して言いますけどそれはある程度の振る舞いを要求される店に限った話で、例えば大木屋のエアーズロック・ステーキのあまりの大きさにウヒョーとか、寿司屋名物マグロの解体ショーにギョエーとか、エンターテインな要素が入っているものについてはこの限りではないです(特に女体盛りは事前の確認をしておかないと酷い目に会う事も。ご注意を)。


で、こういう枕を書きたくなる、「成金」となった人の「見栄えや権力ばかりを追い求める人生の空しさ」を訴えていた映画というのが「かぐや姫の物語」でした。


かぐや姫、竹取物語というのは日本人の多くが知る有名な昔話で、ぼくの通っていた学校では国語の時間の教材として出てきていたりしましたから、ストーリーに関しては何がどうしてどうなる、という事については大勢の人が観ずともわかると思いますし、作中も大筋「竹取物語」と同じ展開で進んでいきます。

違うところはちょこちょこあって、中でもかぐや姫の物語として幼年期を膨らませたために作られた幼馴染みたち、中でもかぐや姫が親愛の情を抱く捨丸というキャラクターが本作のテーマを語る上で重要な存在となってきます。いやテーマといっても「生きる幸せってなんだろう」程度のもので、何不自由ない生活だけれど決まりごとばかりの人生を送るのは不幸だし、とはいえ何物にも縛られないけど過酷な条件下で生きていかなければならないのも幸せとは言えないよね、という感じの良くある話以上の感動はありません。

残念なのは帝(みかど)がアゴキモキャラとなり、かぐや姫が月へと帰るトリガーを引いてしまう原因となっているため、ラストで翁・媼・帝へ渡される不老不死となる薬のくだりが無くなっていることしょうか。「彼女がいない世界で永遠に生きる理由なんかない」という事を示すいいエピソードだと思うのですが、振ったとはいえ手紙のやりとりをする程度の仲にはなった帝の話は捨丸の登場によって不要になった事は確かだし、「竹取物語(翁の話)」ではなく「かぐや姫の物語」としたことで「どこで話を切る(終わらせる)か」という事も大事になりますので、これは致し方ないのかな、と。ただ「今は昔、竹取の翁というものありけり(原文に同じ)」という翁目線の物語としてから始めたのであれば、姫ではなく翁のカットで話を締めた方が昔話として座りがいい気はしました。サーセンね、素人目線で。

で、その月からのお迎えがトラクタービームでギャラガのように姫をキャプチャーする場面なのですが、原作では引き渡しで問答があるものの、本作ではまさに「無用」であっさりと1機減ります。この「月の世界」を「死の世界」と解釈するような人もいると思うのですが、個人的には死に近しい「悟りを得た世界(極楽浄土)」なのではないかと考えます。一切の記憶が無くなったはずの人が覚えていた日本(地球)のわらべ歌。そこは果たして多くの感情が入り乱れる中で生きていかなければならない世界です。その辛さに耐えかねて、「悟っているが故に何の争いも起きない」世界へ帰る決断をしたかぐや姫。一切の苦労は無くなくなった訳ですが、果たしてそれは幸せなのでしょうか。

アニメーションは最初予告編を観た時はあまり好きなタッチではなかったのですが、鑑賞を初めてすぐに気にならなくなり、止め絵だと平面にしか見えない筆っぽいそれも動いた途端に驚くほど立体的なものとなり、それぞれの動きが躍動感に満ちていて話はともかくもう一度観てみたいと思うほどでした。キャラクターたちも適度にデフォルメされており観ていて微笑ましく、翁と媼がその持つ財力で成り上がり貴族として鎮座している場面は(それこそ「いかにも成金」で)素直に笑えたし、ある程度声優に寄せて書かれた人相のキャラも面白かったです。

さて飽きた。

最後に、キャッチコピーとなっている「姫の犯した罪と罰」について。
罪は「いつでも帰れる(逃げれる)場所を持つ奴が、限りある命で生きている多くの(逃げ場のない)人々を混乱させたこと」、
罰は「何の騒ぎも季節もない世界で、忘れられないひとつのわらべ歌だけを心のよりどころとして(不老不死なので)永遠に生きなければならないこと」
なんじゃないですかね。都に上ってからは姫の人間性に魅力を感じなくなっていたので、何がどうなろうとどうでもよかったんですが。

子を持つ親御さんに推薦したいところですが、原作のラストを取っ払ってるんで原作ほどには親子の情という点で感動しないので、号泣する準備が出来てから鑑賞すると意外と肩透かしに会うかもしれません。ではでは。

p.s.
姫に付く女童をどっかで見たことあるなぁって上映中ずっと悶々してたんですが、「おじゃる丸に出てきそう」なだけでした。スッキリしたけど納得いかん。 あと捨丸とかぐやが空飛ぶシーンって長ぇなーと思いながら観てたんですが、よく考えたらこれって普通ならセックスになだれ込む場面だよね。お互い天にも登る気持ちでキスして愛撫して、上になったり下になったりでいざ挿入ってなった時にかぐやは思い出した!「"月のもの"が来るから今日は出来ない!!」という事に……。そう思って見返すと泣けるでぇ、ほんま。

 トップページ » 映画感想 » かぐや姫の物語 

 この記事の先頭へ