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竜三と七人の子分たち


感想:

この映画は「先の長くないジジイの話」であると同時に、「ビートたけし」にとっての、ある種の遺言状なのかもしれない。

「龍三と七人の子分たち」は、全体にちりばめられた「ビ―トたけしならでは」のギャグ(かつて「毒ガス」と呼ばれたもの)を除外すると、オーソドックスなストーリーとそれを埋める小噺で構成されていて、特に「北野武監督作品」でなくても良かったのではないか、というくらい、一見平凡なコメディ映画だ。

しかし監督はこの作品を撮るにあたり、北野作品としては初めて出演者たちに台本の読み直しをさせ、台詞の間や表現について注文をつけたという。

また監督は映画のプロモーションにも力を入れており、封切りまでにテレビや雑誌、それからインターネットサイトにおいて精力的にインタビューなどをこなしていた。彼ほどの人であればいちいち個別に対応しなくても合同記者会見のようなかたちで各媒体一斉に取材・発信が出来たはずだと思うが、同じ質問を何度もされ、同じ答えを返すという仕事を粛々とこなしていた。追っかけていたこちらとしてはそれぞれの記事で被らない部分を探すのが大変だったが、ファンにそうさせる事、つまりインターネットにおいてはそれぞれのサイトのアクセス数をきちんと伸ばす(結果を出す)、という事も頭の中に入っていたのかもしれない。

ぼくは普段映画はレイトショーで観る事がほとんどで、その理由は安い料金で観れる事と、大抵空いているので自分の観やすい席を確保しやすいからなのだが、この作品に関しては昼に、しかも日曜日に、なるべく多くのお客さんと一緒に観たいと思った。

折しもゴールデンウィークだったので、5月5日の火曜日に劇場に足を運ぶことにした。都内で上映されている映画館はいくつかあったが、監督の育った足立区の映画館、TOHOシネマズ西新井に行くことにした。スクリーン8。座席は140席ほどでスクリーンもさほど大きなくないのが少し残念だったが、前日にインターネットから劇場サイトを覗いたら自分が観ようとしていた回は既にほとんどの席が埋まっていたので、あわてて座席予約をした。

当日は晴天に恵まれ、西新井駅からTOHOシネマズまでは徒歩で移動した。劇場の入っているアリオ西新井は2007年にオープンした施設で、今自分のいる場所が足立区である事を忘れてしまうほど近代的なショッピングモールである。劇場までの導線はあまり良いとは言えず、たどり着くまでに少々混乱したが無事入場できた。発券を済ませてからTOHOのカード(何回か観ると1回無料)の発行案内コーナーを見つけ「ついでだから入っておけば良かったな」と後悔していると係のお姉ちゃんが寄ってきて、今からでも再発券というかたちで入会出来ますよ、あと今日は火曜なので入ると鑑賞料金が1,400円になりますよ」と誘われたのでお願いした。カードの発行手数料は500円かかり、結果的に100円高の1,900円を払うことになったが、今後新宿など他のTOHOで観る事もあるだろうから良しとした。

開場時間まで待合スペースで時間を潰したが、やはりゴールデンウィークということで親子連れが多く、ぼくが携行していた3DSにもひっきりなしにすれ違い通信のお知らせが来た。ビールを一杯買っておこうと並んだ飲食物販売コーナーも結構な盛況具合で、受け取った時点で既に開演時間となっていたのであわてて入場したが、幸いにも本編上映前で他の映画の予告編をやっている段階だったのでホッとした。

自分の席に向かうついでに客層をチェックした。老若男女……なんと子供連れもいる。流石「世界のキタノ、足立区のたけし」である。ぼくの隣の席は画面にいちいち反応しては感想を漏らすおばちゃんで、「極道大戦争」の予告を観ては「噛まれたらヤクザですって」と言ったり、「Zアイランド」の予告を観ては「Zは何のZ?」と連れ立って来ている相手に質問したりしていた。まさにぼくが今回同席したかったのは、こういうタイプの観客だった。面白ければ笑い、ビックリしたら悲鳴を上げ、こじゃれたセリフには突っ込むタイプ。最近のうるさい鑑賞マナーなんてほとんど無視する、コメディ映画にとっては良いお客さんだ。

映画が終わるまでそのおばさんは場面場面で笑い、喋っていた。そしてエンドロールが終り、場内が明るくなってから最初に発したのは「あー面白かった」という簡潔なものだった。それを聞いた、ただの観客に過ぎないぼくはとても嬉しくなってしまった。もちろんその他の観客も笑い、驚いていた。特にウケてたのは焼き鳥ギャグと馬券ギャグで、「さすが足立区」と思わずにはいられなかった。ぼくが鑑賞した北野映画の中で、不特定多数の観客と観る事がこれほど楽しい映画は無かったと思う。まぁそもそも「3-4x10月」を観に行った時には観客がぼくひとりだったのでそんな体験はやりようがなかったし、またその時の「北野映画売れねぇんだなぁ……」などと思った記憶も手伝ってのものだったのかなとも思う。

とはいえ改めて、本作は北野映画としては、また彼が手がけるにしては「ふつう」のコメディ作品だった。

例えば蕎麦屋で龍三(藤竜也)とマサ(近藤正臣)がそばを食べつつ「次に入って来た客が何を注文するか」を賭けるシーン。連勝するマサに龍三がヒートアップして掛け金をあげ、そばかうどんかと注文を盗み聞きしていたら客が一言「かつ丼!」。本当に、ベタベタの、コテコテの展開。笑いとして新しい事は何一つない。単なる娯楽鑑賞として観に来た観客はともかく、本作に北野武(ビートたけし)の新作コメディ映画に新しい何かを期待していた観客には全く笑えないシーンだろう。ちなみにその時いた観客にはウケていて、ドッと笑いが出ていた、という事も付け加えておきたい。

しかし多分、監督はこういう「正攻法な笑い」をどう言われるかはわかっていてやりたかったのだと思う。前述した「セリフの読み合わせを行った」理由もここにある。つまり「俺の考えるコメディ」を映像作品としてなるべく完全なかたちで残したかったという事だ。

それは監督がお気に入りである「早撃ちマックが切った仁義を延々突っ込まれる」という場面からも見て取れる。ここは1カットで収めず、途中第三者が笑いを堪えているカットなどを含みながらも最後まで延々とカメラを切り返して見せている。ここの「間(ま)」は漫才だ。よって1カットで撮った場合、いちいち「そこの間が違うのでもうちょっと長く(短く)」と指示していたら、いつまで経っても撮り終わらない。何故なら監督である北野武は同時に漫才界の風雲児であるビートたけしでもあるからだ。だからこのシーンを完璧にするには、それぞれをバラで撮ったうえで1コマ単位での間の調整が出来る編集に持ち越す必要があったのだと思う。

監督は、「編集やってる時が一番楽しい」とインタビューでも答えている。処女作「その男、凶暴につき」を作った際にも、プロの編集マンが作業した映像に対して「間が違うから」と自分で再編集したものを採用している。これらの事からこの場面で提示された切返しのテンポ、セリフのやりとりのスピードこそが「ビートたけしの漫才会話における最適解」なのだろう。本作はこういう具合に、まるで「お前らこの間を覚えとけよ」と誰かに語りかけたがっているかのごとく、監督・北野武監督、演出・ビートたけしとでも言いたくなるようなネタの魅せ方が最後まで続く。

一方それまで自身監督のヤクザ映画などで見せてきたエクストリームな暴力表現は極力抑えられている。はばかりのモキチ(中尾彬)が酷い目に遭うシーンも直接は見せず、ジャンプカットで「どうなったのか」を、「かなり酷い目に遭わされた」ことだけは観客にはっきり伝えて、暴力そのものを省略している。その後の抗争シーンはギャグ以外の何物でもないかたちでの暴力ジョークがさく裂する。もちろん監督の作品には「行き過ぎた暴力が生む笑い」も数々あるのだが、本作においては意図的に「笑うための暴力」として描けるよう、それまでとは真逆のベクトルで演出されている。

最終的に監督が本作で撮りたかったものは「落語のように、時代が変わっても、とうに話やオチを知っていも、何度でも楽しめるもの」なのではないのかと思った。ビートたけしが「一見普通にみえるコメディ」を撮った理由がそこにあれば、大変納得がいく。

本作のインタビューで、「あと2本くらい撮ったら寿命で死んじゃうよ」と監督がボヤいていた。ぼくは北野作品はどれも(「みんな~やってるか!」も「Takeshi’s」も)好きだが、次回作として観たいのはやっぱり「龍三と七人の子分たち」のような「彼しか出来ない不謹慎なギャグが盛り込まれたコメディー映画」だ。それは本作を「ふつうのコメディー」などと言いつつ、しっかり楽しめたからである。

是非、劇場で、出来ればたくさんの人が来るであろう時間帯に、さらに言うなら休日に、ビールを呑みながら、スクリーンに向かって「くだらねえぇ!!」と劇場マナーを無視して爆笑したり突っ込んだりしながら鑑賞する事をお薦めする。ぼくはそれで凄い得した気分で観れたから。

コメディ映画にいちいち整合性がどうのとかあそこの部分はあまりにも荒唐無稽とかすぐ言う人にはお薦めしませんし、そういう人は死ぬまでドキュメント映画とかだけ観てればいいんじゃねぇの。……まぁ俺も流石に「バスもたもたしすぎだろ」とは思ったけどさ。俺には銃がある!! こっちだってバスがある!!

面白かったです!!

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