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ゼロ・グラビティ


Gravity

感想:

10数年ほど前にオーストラリアに行ったんですよ。ケアンズってところに、社員旅行で。

数日間の滞在で、帰国日前夜にみんなで食事会する事以外は自由行動だったから、何か面白いオプショナル・ツアーはないかなって探してたんですが、どうせならここでしかやれない事をやろうと、バンジー・ジャンプとスカイ・ダイビングを予約したんです。

バンジー・ジャンプはアラン・J・ハケットっていうバンジーきちがいの人が経営してて、彼は無許可でエッフェル塔からバンジー・ジャンプして自分の会社のバンジー・ロープがいかに安全かって事をアピールしてたりする人で、テレビ番組でも観たことあったからやってみよう、と。

日本でもバンジー・ジャンプ出来るスポットはいくつかありますが、大体高さが2-30mなんですね。しかしここはその約倍の50mあって。しかも山の中腹にバンジー・タワーが建てられていて、ジャンプする場所からはケアンズの自然とグレート・バリア・リーフの絶景が一望できたりするんですが、それが50mという高さをさらに高く感じさせたりして、カウントダウン2回やられて飛べなくて、3度目で死ぬ気で飛んだんですが、まあ怖かった怖かった。

それが終わったら今度はスカイ・ダイビングですよ。50mなんてもんじゃない、今度は高度4,300mですからね。どうせ飛ぶなら一番高いところから(現在は4,600mコースもあるらしい)と思って選んだんですが、搭乗したダイビング用の飛行機がまず怖い。飛行機は離陸してから「あっもう落ちても絶対助からない」って高さに登るまでが苦手なんですが、旅客機と違って上昇角度が浅くて、徐々に徐々に高所恐怖がマヒしていく感じだったんです。

そしてダイビング開始。やっぱ飛び降りる瞬間が一番怖くてですね、タンデム飛行つって二人羽織みたいにぼくの後ろにはプロのダイバーがついていてくれて、ハーネスでつないで一心同体状態で飛び降りてくれるんですけれど、その人が飛び出す行動してくれなかったら到底飛べなかったろうね、という。目ぇつぶってましたからね、飛ぶ瞬間は。

飛んでしまうともうどうにも引き返せないですから、幾分気分も落ち着いて、目の前に広がるオーストラリアの風景を楽しみながら、「うわー”007ムーンレイカー”冒頭で観た感じのリアル版だー」と思ったり、オプションで申し込んだダイビング撮影のカメラ回してくれてるスタッフ(一緒に飛び降りてる)に愛想振ってみたりして。んで無事パラシュートが開いて、そこからはゆっくりと着地ポイントに向かいながら、スーファミのパイロットウィングス思い出したりして。無事着地して事なきを得て、ぼくの後に飛んだ同行者の着地を待ちながら夕暮れを迎えたりして。楽しかったなぁ。


そんな経験をもつぼくが「ゼロ・グラビティ」を観たわけです。


冒頭の船外活動。ハッブル望遠鏡を修理するクルーの眼下に広がる地球。ハッブル望遠鏡が飛んでいる高さは地上から600kmらしいですよ。スカイ・ダイビングをした時に観た光景も信じられないほど高かったのだけれど、もうレベルが違う。落ちるのにどんだけかかるんだ、ってくらいの高さ、しかも無重力。つまりそこは落ちるって感覚が鈍る、自分で自分の移動方向を変えられる手段がないと、元いた場所にさえも帰れない空間だったのです。

そして本作はその「自分の力だけでは生きていけない環境」で、ひとりの女性が生き延びる物語です。

……などと書くと、哲学的で難しい話が出てくるんじゃないかとか、本作で発生する出来事は何らかのメタファーになっていて、実はこういう事を諮詢(しじゅん)しているのではないかとか考えちゃいますけど、確かに無いこた無いんだろうけど、そこまで考えるほど難しいものでもなかったです。そのままでは生き延びれない状況にいた人が、何をせずともとりあえず生きていられる環境に戻ってきた、それだけの話。「アバタ―」以上に中身が無いから、ぼくは安心して本作品における最先端の映像表現を楽しめたのでした。

しかし、「これは映画の新たな可能性の礎となる作品である」と言われれば「そうですね」と賛同できるのですが、「これは映画の究極の進化系だ」とか言われると「違うだろ」と突っ込みたくなるのです。こんなもんばっか作られてたまるもんですか。

例え話で申し訳ないんですが、「アバタ―」はプレステの「リッジレーサー」みたいなもんで、「ゼロ・グラビティ」は「グランツーリスモ」みたいなもんだと思うんですよ。この2作品は家庭用ゲームとしてはエポックメイキングな逸品で、ぼくはどっちのゲームも大好きなんですが、それでも「これこそがゲームだ!」って言われたら、「あんたそれハードのスペックに驚いてるだけだし最新の技術を使ってなくても素晴らしいゲームは他にもあんだろ、カッペは黙って田舎に帰って自宅の畑で麦でも踏んでろ」って返したくなりますよ、という。「ついにここまで来たか!」って技術的な驚きと内容に関する出来不出来は分けて語るべきだと思うんです。

話を映画に戻しますが、映像はそりゃ凄かったです、でもそれはあくまで技術的な側面から感じた事です。映画におけるCGI技術の返還を辿る際にはマイル・ストーン的な作品として間違いなく取り上げられるでしょうが、「映画」として傑作かと言われたら、素直に賛同は出来ません。極上の娯楽作品である事には異論ありませんが。冒頭の13分長回しは現在の技術でありもんの素材(役者とCGオブジェクト)をどこまで違和感なく制御し合成し表現できるかという冒険でしかないと思うのです。たぶん、やろうと思えば全編1カットでも出来る技術は既に確立されているんでしょう、でもそれをやると「映画」ではなく単なる「アトラクション」になってしまうと思うのです。

感心したのは遠近の表現として、従来のカメラ撮影で発生するフレアやゴーストをCGIイフェクトで加えている事。地球と違い宇宙では大気の影響を受けないので(だからハッブル望遠鏡が打ち上げられたんだけれど)、「遠くのものをボカすことで距離感をつける」という事が難しい。ちょっとやそっとの距離じゃボケないんだもん、大気無いから。そこであえて「レンズ撮影でしか発生しない」ゴーストのイフェクトを入れる。その生じたゴースト同士の位置関係を3D処理する事で、立体感を出す。自分の眼球では起きないこの「ゴースト」という現象を、実はぼくらはそれまでの映画やテレビ番組で数多く観ている。本作の映像が「神の視点から俯瞰で見ている」ものだとしたら間違っている効果なんだけれど、「ぼくらが第三者として、この場所ではないところから何らかの手段(今回の場合はスクリーン)を使って確認している」のだとしたら、「凄くリアルに見える」表現として有効だと思いました。本作を3Dで観る際には、デブリ(衛星などの残骸)がピュンピュン飛んでくる3D効果も凄いのだけれども、この「太陽光の影響現象を使った遠近感」といった「柔らかく丁寧な表現」にも注目すると、よりこの映画を3Dで鑑賞する際に楽しめるのではないでしょうか。

あと鑑賞時はもちろん大きなスクリーンの方が良いのだけれど、作品とのシンクロ率を上げたければ吹き替えの方が良いと思います。字幕は「同じ状況に”わたし”もいる気がする」というバーチャル感を妨げるサービスだと思うので。NASAとの通信シーンとかは吹き替えだとどうしても芝居がかっている感が否めないからアレだけれど、途中からはサンドラ・ブロックがひとりでワーだのギャーだのありがとうだの言ってるだけだから。

そして実はこれ、一番の鑑賞法はIMAX以上にヘッドマウントディスプレイなんじゃないでしょうか。Blu-ray発売されたらウォーター・ベッドに寝転んでソニーのHMZで鑑賞、とかが最強に楽しめるんではないか。誰かぼくにウォーター・ベッドとHMZを下さい。あっウォーター・ベッドは部屋に入らないので部屋も下さい、お願いします。

最後に、あちこちで散見される「邦題は”ゼロ・グラビティ”じゃなくて”グラビティ”で良かったのでは問題」について。グラビティって聞いて脊髄反射で「重力」って出てくる人はともかく、この国は未だに字幕無しでの原語上映を全国規模で展開する事が興行として絶対に成立しない状況なので、「ゼロ・グラビティって何? ああ、無重力って事か」とイメージさせ、「無重力表現すごかったよ! ゼロ・グラビティってタイトルなだけはあったよ!」と口コミさせる方が集客手段としては正解だと思います。エンドタイトルでバーン!! うわー!! って衝撃を受けてカタルシスを得ることが出来るのは、その単語をすぐに理解できる人しか無理だと思うので。

主人公が本編最後に感じた「重力」に、いつかのスカイダイビングで体験した着地の衝撃も重力あってこそ、という事を思い出したぼくなのでした。面白かった。出来ればもう一度、4DXかD-BOXで観たいですね、娯楽として。

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