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サニー 永遠の仲間たち


써니

感想:

「今までの同級生の中で、もう一度会ったらまた当時のように仲良く楽しい日々を過ごせる人はいるか」と聞かれたら、「いない」と答えるだろう。

もちろん大人なのだから、それなりに親しい付き合いは出来ると思うのだけれど、「当時のように」というのは無理だと思う。

小学校、中学校、高校と進学するたびに、一番の親友は変わっていったぼくだけれど、学生時代というのはそれぞれが親に守られた状態で暮らしているからこそ許せた心の距離があって、大人になった今、「話がある」と言って付き合った先にあるその相談が借金の話だったり開業するにあたっての保証人の話であったりして、そういう事が続くと(もっとも、ぼくへそんな話が最後に来たのはもう十年以上前の話になるが)、「お前のためにやってやる」という言葉には学生時代とは違う、ある程度条件付きの意味合いになる。

本気であの頃に戻れない別の理由として、「お互いが一番大事にしているものが当時と変わってしまった場合」もある。それは音楽だったりゲームだったり世間に対する態度だったりで、お互いに心から共感したりまた共闘した事で分かち合えたものが、それぞれが別の道を進んでから体験したことの違いによって、あれほど夢中になった事にどちらかが醒めてしまっていたり、もしくは現在の自分には理解できないものを相手が有していたりすることがある。

 

三年前の暮れ、気まぐれに田舎に帰る事にしたら、facebookを通じて中学校の同級生から「丁度同窓会を開くのでよかったら参加して」という誘いを受けた。スケジュール的に問題ないので快諾し、当日会場となっている居酒屋に向かった。

20名ほど集まっていた。その田舎には普通科、商業科、工業科の高校があって、参加者の中でぼくが進学した商業高校以外に行ったのは半分ほどいた。

小学校の頃毎日のように学校でつるみ、休みの日にも2人して出かけるほど仲のいい友達がいた。当時は本当に気の合う親友だった。他の友達とどんな遊びをどれくらいやっていたかという記憶は無くなっていても、彼とは高校進学以降会っていなかったが、当時の想い出だけは残っていた。

「よう」と挨拶したもののその次に何を話したらいいのか分からず、それは相手も同様で、しばらく気まずい照れ笑いが続いた。

ぼくらにはおそらく心から一緒に楽しめる事はもう何もないんだ、と直感した。

それを踏まえて、親友だったその彼と別れて高校に行ってから、専門学校に進んでから、社会に出てから出会った、当時一緒にバカ騒ぎをした連中に関しても、今また会いたい、会ってまた同じような事がしたいと思う友達は、一人もいなくなっていた。

独りで生きていくことに、すっかり慣れてしまったのだ。

最近は自分に残された人生の事ばかり考える。同じ年頃の、自分よりはるか恵まれた環境で毎日を過ごしている有名人などの訃報を聞く度、それが突然であればある程、40を超えた自分に突然訪れてもおかしくないイベントだと常に思っている。

振り返れば、幸せだったし、運が良い人生だった。

幼いころにぼんやりと描いていた夢は、コンピュータとインターネットというツールを使ってほとんどが叶った。自分の作ったものでお金をもらうことも、憧れていた人に合って話をすることも、自分が大好きだと思った女性たちと付きあえたり、同棲したりした事も。

しかし未だ全く金に余裕の無い生活をしている、早漏で不細工でおっさんである今現在のぼくは、そうした身の丈に合わない夢の数々が叶ってしまうと、もうしばらくそれ以上を望む気にはなれなくて、今現在は日々安穏としている。

 

結論、想い出だけを抱いて死ぬのだ。

 

「サニー」を鑑賞した。観ている途中、本編とは全く関係なく幾度も涙してしまった。

それは「もうどうやってもそこには戻れない風景」がたくさん描かれていたからなのかもしれない。

ハングル語は分からないが、監督のセンスは大層良く、ギャグのぶっちゃけ具合や丁寧な心の動きの演出に感心した。

お金はあるけれど幸せではない人と、お金がなくて幸せではない人の話。不幸を解決するためにはお金は必要だけれども、お金があることだけで幸せは作れないという事。大人になってわかる、大人になることが自由になるという事ではない事。夢を叶えるために足りなかったのは年齢ではなかった事。当たり前に、しかし大っぴらに明かせず皆が悩む人生のあり方を考えさせられる物語だった。

主役の女性は高校時代役の人も人妻になってからの役の人もどちらもキュートで、特に高校時代を演ずるシム・ウンギョンのおぼこぶりは良かった。照れた際に”VFXで”顔を赤らめるという表現は「五福星」でのチンケの全裸透明人間シーン以来に見た気がする。

くすぐりとして面白かったのは「ロッキー4/炎の友情」の看板をバックに活動家と機動隊がぶつかり合うシーンで、自由を求める活動家たちはロッキーが書かれている看板の左側から、それを抑える機動隊はソ連軍人でもあるドラコが書かれている右側から、という演出があって、それはこの争いが何を意味しているかをその国の歴史的背景が分からない人に伝えるためのものだったのだろう。

BGMに使われていた「ハイスクールはダンステリア」はBPMがちょっと速い気がした。この曲はPVでシンディ・ローバー自身がそうするように「スキップしながら踊るのにちょうどいいテンポ」が良いのであって、この速さには「ちょっと待ってちょっと待ってお兄さーん」と思わなかったが流行っているので書いてみた。

吹替えで観たらもっと楽しめたと思う。でも泣いた。繰り返すが本編ではなく、自分の似たような想い出と同じような匂いを感じた部分で。

「こんなはずじゃなかった」とモヤモヤしたまま自分の人生を終えそうな人、特に40代以降の方々にお薦めの感動作だが、とはいえ本作を観たからといって、それだけではその人の残りの人生の何の解決の糸口にもならないのは承知の話だ。

残り少ない人生を、ぼくもお金が無いなりに楽しもうと思った。

お金があったらもっといい人生になるのかな。努力して得る気は無いけれど、お金は種類に関わらず貰えるなら貰えるだけ欲しいな、うん。

現状日本で乞食が禁じられている以上、ぼくに残された道は善意の第三者が全く何の理由も無くその富を(返済の義務無しで)分け与えてくれるチャンスしかない。

だからください、あなたのお金。それとあなたの……無償の愛も。もちろんその愛にはセックスがつきますし、こちらは顔射もしたければアナルも舐めて欲しい孤独なピエロ(実際にはメイクしていませんが……)です。

お金は返せないけれど、アナルを舐め返す事は出来ると思います。夫婦人生二人三脚、まずはそこから始めてみませんか? 一度きりの人生なのだから……。

おわり

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